時の隙間:2024福岡アートフェア
文:黄荷雅
茶色がかった枝が両腕を広げ、青々とした葉が調和して繋がっている。蓮の風がそっと吹き抜け、白露が輝き、草の香りをまとった日光が葉の隙間を透かして金色の滝を落とす。耳を澄ませば、空に吊るされた金色の風鈴のように、時の物語を語りかけてくる。
時間とは、人類が記憶するために刻んだ尺度であり、その代名詞が「光陰(こういん)」である。時間の代名詞である「韶華(しょうか)」は、花火のように輝かしく華麗な瞬間を強調しているのに対し、「光陰」は光と影が織りなす時間が風に流れていく様子を指す。緑の葉が繋がることで生じる「隙間」のように、光陰にも「隙間」があり、光が差し込むことで平面に輝きを漏らす(日本語で言う「木漏れ日」も同様である)。徐永旭(じょ・えいきょく)と徐嘒壎(じょ・いけん)の作品には、この「光陰の隙間」が見られる。
芸術起源論には「労働説」があり、『淮南子(えなんじ)』には「今、夫(そ)れ大木を挙(あ)ぐる者は、前(さき)に邪許(しゃきょ)と呼び、後(あと)もこれに応ず。これは重きを挙げて力を勧むるの歌なり」とある。これは、木を挙げる者が力を揃えるために前後で声を掛け合い、それが「歌」となったという意味である。徐永旭の作品を見ると、非常に大きな陶器作品の形体が薄く、軽やかで、まるで大木を挙げる者のようだ。彼の制作過程も「邪許」と高らかに叫び、彼に応じるのは手の中の陶土であり、最終的に、陶土と彼が一体となって織りなす世界唯一の「歌」が生まれるのである。
日本の植物学の父、牧野富太郎は『淮花(えはな)と私の伴生記』の中で、自身を「植物と心中した男」と表現している。また、「雑草というものはなく、すべての植物は花と同じように美しい」とも主張している。私は、徐永旭を「陶土と心中した男」と言えるのではないかと思う。おそらく、彼の目には、すべての素朴な土が常人には見えない光を放つのであろう。作品『2020-18』では、複雑な構造で陶土が織りなされており、陶土には無数の指紋が刻まれている。光の下で、凹凸の溝が拡大され、薄い縁が波のような形状をなし、凛とした姿勢でそびえ立つ。このように複雑な構造、巨大な体積でありながら、堂々とした姿で立ち続けるのは、まさに彼の作品に隠された「隙間」である。輝きを放つその隙間は、彼が絶え間なく実験を重ねた成果の表れである。また、彼の作品には、しばしば複雑な皺が見られる。それは、古代の「書庫」を思わせるものであり、その皺には光陰が潜んでいる。まるで時間の渦のように、眺めれば眺めるほど引き込まれる。
作品『2022-35』と『2022-39』では、陶土が楕円形に成形され、前者は緊密な白色を呈し、後者は粗い粒感と土茶色で示されている。これらは、純粋な天と豊かな地を象徴しているようだ。ヘシオドスの『神統記』やオウィディウスの『変身物語』では、万物の起源が「天」と「地」にあると語られている。しかし、徐永旭は、この二つの作品において天地を神格化せず、擬人化することもなく、時間の流れと共に天地が持つ「流動性」を強調している。つまり、時間や自然界は、宇宙の中を柔軟に動き回る影のようなものだと言えるだろう。
形の観点から見ると、これら二つの作品は、まるで「タイムカプセル」の断面のようであり、彼は天地に埋められた時間を切り開いて、その隙間から光陰が漏れているようだ。その隙間には希望があり、待ち望むものがあり、それはカプセルを埋めた者と時の秘密でもある。徐永旭の作品には、その精神が注がれている。「隙間」は、陶土に実際に存在する隙間であり、また、皺に隠された隙間でもある。光が差し込むと、それはまるで鋭い刃が時の袋を切り開くように、小さな隙間から輝きが浮かび上がる。それはまさに「空中の音、相中の色、水中の月、鏡中の象」である。
芸術起源論に話を戻すと、徐嘒壎の創作は「遊びの衝動説」や「自己表現説」に近いかもしれない。彼女の自述では、作品のタイトルは一種のヒントであり、観る者が作品に入る入口だという。作品タイトルの『あなたが忘れていった服』、『雨夜』、『ダブルチョコレートソフトキャンディ』など、彼女の創作は日常の表現であり、計画されていない「遊び」のようである。彼女の筆は心に従い、キャンバスにはその感情が現れる。それはまた、彼女が観る方法でもある。
ジョン・バーガーの『見るということ』において、このテーマは終わりなく議論されている。芸術史を振り返れば、「見る方法」に大きな影響を与えたのは、カメラの登場である。ウォルター・ベンヤミンは『アウラの喪失』で、機械による複製が始まると、「画家の手」よりも精密で現実的なものが出現し、芸術は「本物性」を失い、「アウラの喪失」の時代に突入したと主張した。徐嘒壎の創作は、この時代に応じているかのようだ。彼女の写真作品では、しばしば焦点をぼかす技法が用いられ、私はこれを現実への「緩衝」と捉える。そして、この文脈は彼女の絵画にも引き継がれている。
ピカソらが「平面」を切り刻み始めたように、徐嘒壎の「見る方法」は、単純に「切断」するのではなく、写真の「ぼかし」や「現実の折り曲げ」を取り入れ、完全な「真実」を追求することを放棄し、彼女が描いた「緩衝地」に留まっている。彼女の絵画は、まさにベンヤミンの「アウラの喪失」に応答しており、彼女独自の光を作り出している。作品『夢に見た黄金の時』では、大衆が思い描く「黄金色」を使わず、ほぼ芥子色の黄色を選び、輪郭には血のような赤を加えている。広大な芥子色の部分は、折り曲げられた筆致で描かれ、その折り目ごとに「隙間」がある。私は、この隙間こそが彼女が張り巡らせた「緩衝」であり、それは目に見
▪▘BOOTH | W32
▪▘VIP View | 9/19(四) 13:00 – 19:00
▪▘ Public View |
9/20(金) 11:00 – 19:00
9/21(土) 11:00 – 19:00
9/22(日) 11:00 – 18:00
▪▘地點 | 福岡国際センター(FUKUOKA KOKUSAI CENTER)
官網➥ https://www.san-gallery.com.tw/archives/10155?lang=zh-hant&v=3d9975706be3
Instagram➥ https://www.instagram.com/san_gallery_tw/
Exhibition Title: 2024 AFAF @Booth W32
Exhibition Period: SEP 20, 2024 (Fri) – Sep 22, 2024 (Sun)
Participating Artists: Yunghsu Hsu, Huihusan Hsu